うつ病という言葉を知り始めたのはいつごろだろうか。
とにかく、うつ病はなった者でしか分からない苦しみがある。
僕は日常できたこともできなくなり、一日中寝込んでいる状態が続いた。
心療内科や、メンタルクリニックをいろいろ探して、
なんとか治療で良くならないか、あがいてみたが、
いい先生に出会うまでかなりの時間がかかった。
そのときの異様な雰囲気は、今も自分の中に記憶されている。
まず、何もできなくなると、一緒に住んでいた家族に迷惑かかった。
経済的な面で、働ける状況でもなかったので、その分を家族で補う形になった。
また精神的に参っているので、家族も混乱し、
今まで経験しなかったことが起きるようになった。
家族との信頼関係も揺らぎ、僕は隠れるように生きていた。
友達も、憂鬱な時に心配して訪ねてくれたが、
うつ病が酷くなるにつれ、友達とも会えないような心理状況になった。
家族は腫物を触るように僕に対応した。
僕自身は自責の念と、絶望的な精神状態でいつも寝込んでいた。
よくうつ病は心の風邪という言葉を聞くが、
僕のうつ病はそんな生易しいものではなく、
ドクターストップを命じられるほど酷いものだった。
治療に専念するように医者に言われたが、
自分の人生が終わった感じがして、無気力になった。
そんな状態を相手にする家族は、たまったもんじゃないだろう。
僕はいつ死んでもおかしくない心理状況にあったので、
それに対応する家族は大変だった。
世間は、そういう精神障害を抱えた人材を差別している風潮があることも知って愕然とした。
一旦メンタルが崩れたら、理解ある会社や公務員でない限り、社会復帰は難しい。
なんらかの精神障害を抱えている人は日本で約400万人ほどいるとのことだが、
そういった病気を抱えながら働いている人は全体の約1パーセントほどだという事実がある。
それを知って悩み苦しんだ。
結局その後僕は精神科で有名な病院で入院することとなり、
生活リズム、食生活、病気の知識を、そこで学ぶことになった。
病院では僕と同じように悩みを抱えている人がいっぱいいた。
入院していたため、そこにいる人たちは当然のことながら働いていなかった。
僕も僕で悩みを抱え苦しんでいたが、
共に病気を抱えている人たちとコミュニケーションをとることで、
少しづつではあるが、心の中身がほぐれてきた。
健常者でいたときは障害について悩むことはなかったし、
障害のある人がどういうふうに生きているかなんて関心はなかったが、
実際その障害を持つことになった僕は、健常者とは異なる世界で、
どう生き延びていくのか真剣に考えるようになった。
まずは、病院が処方された薬をしっかり飲むこと。
また昼夜逆転の生活を正すこと。
食生活の乱れをなくすこと。
この3点を重点的にした。
憂鬱な気持ちを抱える抑うつ状態がしばらく続いたが、
デイケアなどに通って、体を動かすようになって、段々回復するようになっていった。
今は障害者の就労継続支援という場所に通いながら、民間の企業で働けるよう訓練をしている。
もし、僕と同じようにうつ病で悩んでいる人がいたら、
大きな病院で診察することをおススメする。