私は看護師や保健師の免許を持っているため、うつ病に関する知識は持っていました。
しかし、実際にうつ病にかかかって思ったのは、病気と戦うことの大変さや難しさでした。
発症から8年が経ちますが未だ治療の身です。
うつ病の発症から現在までを時系列で書きたいと思います。
24歳、社会人1年目でした。
看護師として就職し、夜勤のある病棟に配属して1年がたつ頃でした。
始めは腹痛がしょっちゅう起きました。
胃腸科内科を受診し胃薬を半年服用しても軽減せず、胃カメラの結果も異常なしでした。
診断は機能性胃腸障害となりました。
その頃から仕事に行くのが不安になり、上手く寝付けない、夜中に目が覚めることが増えました。
内科で抗不安剤や眠剤も追加処方されました。
しかし、症状は改善せず、仕事で些細なミスが増え、体重は半年で5キロ以上減りました。
結局25歳で看護師の仕事を辞めました。
今、振り返ってみると判断を急いだ、誤ったと思います。
当時の私は、ミスをする自分は職場に迷惑しかかけていない、
とにかく職場から逃れたいという自責感や焦燥感でいっぱいでした。
その後、仕事はしなければという焦りから職場を転々としました。
ある職場に28歳で再就職しました。
このときは精神科に病院を変え、抗うつ剤を服用していました。
しかし、再就職して間もなく、睡眠障害、食欲低下、体重減少、
思考力低下、感情失禁(涙もろくなりました)などが出ました。
仕事内容は夜勤もなく、ハードではなかったのですが、
うつの症状は以前よりも重く、早く出るようになっていました。
精神科の主治医の診断書により病休を取ることになりました。
しかし、休みに入っても、自分に仕事が務まるのか、みんなは私のことをどう思っているのかという思いでした。
休んでいるのに休めていない状態でした。
この頃は生きているのが辛いといった起死念慮も出て、うつになって最も辛い時期でした。
結局私はこの職場で復職、病休を繰り返して退職しました。
ただ少し快方に向かった時期があります。
それは、服薬治療だけでなく、カウンセリング治療を行ったのが大きかったと思います。
私は保育園時代に保育園職員から身体的精神的虐待を受けていました。
また、厳しい母、両親が不仲といった環境で育ちました。
完璧でなければ人に認めてもらえない、どんなに成果を出しても満たされないなど、
愛着障害が根っこにあるうつ病でした。
カウンセリングで過去の幼い傷をおった自分を癒すことは、少しずつですが、
うつ病を快方に向かわせてくれました。
まとまりのない文章になりました。
難治性のうつ病ほど薬物治療だけでは不十分だと思います。
いつどんな体験をして、その人の考え方に影響を及ぼしているのかを丁寧に聞き取りする必要があると思います。
その上で、心の傷を癒し、考えの偏り、認知の歪みがあれば修正していく治療が大切です。
ただ残念なのは、こうしたカウンセリングなどの治療は時間がかかり、保険適応外です。
病院側にも患者側にもメリットが少ないです。
うつ病の発症も再発も増えているのは、こうした治療環境の整備が不十分なことも影響していると思います。